わたしも詳しいことは知らないが、皿屋敷傳説は支那から輸入されたものであるらしい。それが諸國にひろがつて、皿屋敷の故蹟や傳説を残してゐるが、そのなかで最も有名になつてゐるのは、播州と番町である。御承知の通り、播州にはお菊虫などといふ名物さへ残つてゐる位で、浄瑠璃にも「播州皿屋舖」の作がある。
播州と番町と、その発音の似てゐる爲か、或ひは偶然の暗合か、江戸では番町の怪談として有名である。かの「江戸砂子」や「新編江戸志」などにも同様の記事の見えるのから察すると、相當に遠い昔から云ひ傳へられてゐたものらしい。その皿屋敷の主人の名は青山主膳、青山播磨、小幡播磨など色々に傳へられてゐるが、女の名は皆お菊である。
皿屋敷の傳説はいつ方にも変りはなく、お菊といふ召使が主人の秘藏の皿一枚を割つて手討にされ、その死体を井戸に沈められたので、怨念が夜な/\井戸から現はれて皿の数をかぞへ、主人の家は遂に滅亡するといふのである。「嬉遊笑覧」の作者はそれを説明して、皿屋敷の怪談は子供のかぞへの遊びから起つたのであると云つてゐるが、これはどうも疑はしい。やはり支那の伝説をそのまに受け継いだものであらう。要するに、いつこの皿屋敷にも信憑すべき事蹟があるわけでは無いのである。
併し前にも云ふ通り、この傳説は甚だ有名なものになつてゐるので、私はそれを題材にして、「番町皿屋敷」を書いたのであ。在來の「播州皿屋舖」は青山鐵山といふ謀叛人を主人公として、一種のお家騒動のやうに脚色されてゐるのであるが、私は単に青山播磨主從のあひだに起つた恋愛悲劇として取扱ふことにした。
疑ふまじき人を疑ふは罪深きことである。而も恋愛關係に於ては、その疑ひが醸され易い。それがために種々の葛藤や破綻をひき起す例は世間に※[尸+婁]々しばしばある。疑ふ女、疑はれる男、その最後の悲劇を描いたのが此の番町皿屋敷である。その全部が私の空想であること云ふまでも無い。
(昭和八・一二)
底本:岡本綺堂 綺堂劇談
青蛙房 昭和31年2月10日発行
入力+校正 和井府清十郎
原文は旧字