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綺堂ディジタル・コレクション




つぎは、綺堂のオリジナル作品をデジタル化したものです。
 「高松城」は、岡本綺堂19歳のときの作品で、初の読物・小説だろうと考えれます。つぎの章立てとなっています。
 備中・高松城を秀吉軍が取囲んだときの戦で、本能寺の変を聞いていた秀吉はすぐさま毛利軍との講和の条件を出したのでした。高松城+水攻め、でネットを検索すると、それぞれ詳しい紹介がたくさん出てきます。
 1.上月の没落 (公開 3/3/2003)
 2.夜半の梅雨 (公開 3/9/2003)
 3.他国の旅人 (公開 3/17/2003)
 4.死出の田長 (公開 3/24/2003)
 5.兄弟の対面 (公開 4/04/2003)
 6.高松の水攻 (4/13/2003 公開完結)

 なお、入力者自身による校正はいたしましたが、ベーター版ですので誤字などありましたら、ご連絡ください。


「高松城」の初出・連載は、東京日日新聞1891(明治24)年11月27日から12月19日までですが、その第1回の連載開始の頁(一部)をつぎに掲げておきます。初出の東京日日、第2回は、下記の青蛙房の選集に収録、そして今回で3度目の公開だろうと思われます。初期の習作としてお読みください。

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東京日日新聞1891(明治24)年11月27日付。拡大図(130KB)


◆ 高 松 城

             狂 綺 堂 (岡本 綺堂)
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上月(かうづき)の没落(ぼつらく)

 野末を払ふ初秋の風かあらぬか木の葉と共に、はら/\散り行く味方の軍勢、蓬(きた)なし返せと幾度か、声を限りに呼はり/\、血汐に染みたる大身の槍を其の儘杖にきっと見やる、アラ無念、野も山も、無念や敵の旗指物、本城は猛火天を焦す、ハッと思はずたじろく足、踏み止(しむ)るにも力尽きぬ。
 秋草サヤ/\と押分けて敵の兵者(つはもの)三五人、ソレ余すな、と追取り籠めて打って掛る、太刀先は恰(さな)がら四辺(あたり)の尾花かと見紛(みまが)ふ、小癪なと、大音声、槍カラリと投げ棄てゝ腰なる太刀、抜くより早く閃(きら)めく電光(いなづま)、一人の細首ハッシと打ち落す、あはやと見る間に今一人小腕(こかいな)ハタと切落されぬ、傍輩(ほうばい)の仇逃さじと踏込み/\切り付る、敵の切先勢ひ鋭く心ばかりは※[#「端」の立偏に代えてしんにゅう偏 8992, 797c](はや)れども此方(こなた)は数刻の疲れ手負ひの悲しさ、踏む足シドロに太刀筋乱る。
 折から乱髪顔を被(おほ)へる若武者、遥か彼方(あなた)より一散に宙を飛ぶ、間近く寄りさま、父上と声を掛けながら振りかざしたる一刀、敵の一人は又もやバラリと乾(から)竹割、不意に駭く残りの二人、一人は振向きさま新手の敵と渡り合ふ、双方互ひに一騎打ち、嚢(さき)なる武者は援けに力をや得たりけん、受けつ流しつ付入って、ヲッと叫んで横に薙ぐ、あはや此方の敵の倒るゝ時、彼方の敵も若武者に打たれぬ。 敵は残りなく打止めたり、ハッと気の弛みか、其場にドウと倒るれば早くも馳け寄る若武者、引起して父上父上、呼び活けられて気を取直し刀を杖に立上ってよろ/\/\、アナヤと思はず縋る鎧の袖、両人顔を見合せて猛き心も弛むなる、四(よつ)の眼に溢れ来る涙は、矢並つくらふ小手の上に霰たばしる如くなり。
 父上、無念にござりまする。シテ/\本城の様子は如何に。されば候ふ、申すも無念の事ながら、敵城中に攻め入ったれば、味方の兵者(つはもの)は二の木戸を固め、茲を先途と堪(こら)へしが、名に負ふ吉川(きつかは)、小早川が手強き軍配、味方は数刻(すこく)の難儀の合戦、打物は折れ矢種は尽きぬ、今は変化の術(てだて)もなく大将にはおん腹召され、山中殿には乱軍のうちに行方知れず、其他の面々は好き敵と引っ組で思い/\に相果て候ふ。扨(さ)ては愈々※(繰り返し記号)落城と事極まりしか、十に八九は勝つべき今度の合戦に、傾く尼子(あまこ)の御運とは云ひながら、口惜しや我は手の者五十騎を引率し、吉川にもあれ、小早川にもあれ、敵の大将を択(えら)み打ちと、城を離れて遠く出でしに敵にもかねて備へあり、吉川が小伜元長の手に追取り籠められ、心にもあらで引上げしは返す/″\も残念なり、さりながら今更悔むで詮なし、其方(そのほう)は早や/\此場を落ちよ、残りの兵者共、忠義の人々(ひとんど)を語らひて、又の旗揚げ亡君の弔ひ合戦、其方ならで外になし。
 云ふも苦しき息づかひ、唯だ手真似にて彼方へ早く、ハッハッと返答(いらへ)はすれば立ち兼ぬる、そもや父子打連れて軍陣に臨む、父は子の矢面に立ち塞がり、子は父の槍脇に走せ向ふ、修羅の巷(ちまた)の其の中にも変らぬものは恩愛ぞかし、それも今は水の泡、父の姿を見るも涙、鎧の威毛(おどしげ)は色をかへて厚金も裏かく数ケ所の矢疵、半面鮮紅(のり)に染みて、おどろに被ひ掛れる乱髪、無念と握り詰めたる太刀は、汝(おの)れ汝れ、恨み重なる敵を何十騎切って落しけん、未だ折れこそせね、刀金((はがね)は無残にこぼれぬ。
 堰き来る涙は葉末に露を宿して猶も手負ひを剿(いたはり)りながら。父上、其の仰せは御道理(ごもつとも)、ともあれ此処は野中、人ある方までおん伴せん。アゝイヤ我は数(す)ヶ所の深手、枯れたる枝に花は咲くとも、いかで命生存(ながらふ)べき、我は此処に我君の冥途おん伴、又もや敵の寄せぬうち、其方は早う/\。如何に父上の仰せなりとも此儘に見棄てゝは。イヤ/\こゝで父子(おやこ)二人、むなしく命を捨るのが忠義にあらず、落ちよ、はや落ちよ、父が頼む、頼みじゃ。
 現在父に手を合はされ、胸も張り裂く子の心、父を棄てゝ走るも忠義、子を棄てゝ死ぬるも忠義、浅ましきは世の有様、捨つべきものは弓矢とは今更思ひ合されける。
 エゝ未練なり不覚なり、この期(ご)に及びてウヂ/\するは此の父に心残りてか、然らば見事この首打って、父の最期を見届けて、心残さず落ち延びよ。アイヤお詞には候らへども、現在父の。イヤ/\武運尽きたる時は父が我が子の命を絶ち、子が我が父の首打っこと弓矢の習ひ是非もなし、とても逃れぬ此の深手、少しも早く首打たぬか。と父が覚悟の体見るにつけ、子は差しうつむきて詞なし。
 何を猶予、我を現在の父と思へばこそ、我を讐敵(あだがたき)と思ひなば。と思ひもかけぬ詞、子は不審の眉を顰めて。ナニ父上を敵とは。如何にも其不審は無理ならず、島田十郎左衛門が最期(いまは)の物語、能く聞くべし忰五郎。
 元[#底本のママ、「毛」の誤りか]利元就陶全薑(すえぜんけふ)を打って取り、周防(すはう)長門(ながと)を初めとして大内氏の所領悉く己(おの)が手に入りぬ、遂に当舘(やかた)(尼子〔あまこ〕)の所領(出雲〔いづも〕)をも攻め滅ぼさんず結構なり、大殿(民部大輔晴久(はるひさ))鈍(おぞ)くもその計略(はかりごと)に乗せられて、新宮党随一の強者(つはもの)と聞えたる紀伊守殿(国久(くにひさ))を失ひ自から枝葉を枯らして悟らせ給はず、数度(すど)の合戦常に毛利方の勝利なり、あはれ安芸の奴輩(やつばら)に一泡吹かせて、我君の御威勢、出雲の住人が武勇の程を見せてくれんと、心ある者共は日夜軍慮に油断なし、我も忠義の一心、さま/\に、思案を連(めぐ)らせども、兵を繰(あやつ)りては向ふに前なく、げにや神機妙算鬼神に等しき元就、これに従ふ元春隆景、智勇いづれも万人に勝(すぐ)る、これに当らんこと中々の事にあらず。
 かくも上下心を悩ます折から、当家の侍大将本荘三九郎常光、重代舘の高恩を蒙りながら、弓矢取る身にあるまじき振舞、ひそかに毛利方に心を通はせ、密書の往来屡々なりとの取沙汰、おのれ逆賊おのれ獅子身中の虫、傾く舘の運を見限り、怨敵毛利に内応(うらぎり)とは、と城中挙って憤怒の牙を噛む、大殿ひそかに我をお招きあって、三九郎が事棄て置くべきにあらず其方好きにはからへとの仰せ、承はりぬと御前を退きしが、明らさまに其の罪を鳴らして刑に行はんこと安芸に聞えて便(たより)よろしからず、それと云はずして打って捨つるこそ好かりなん、と所存を固め、酒狂に事寄せての刃傷、弓矢八幡、正義の太刀先は二股の侍を二段となしぬ、好うこそしつれと御感(ぎよかん)あり、三九郎が女房葉末、過ぎし頃より妊身(みごもり)てはや臨月(うみづき)となりけるが、夫打たれて後夜に紛れて何処(いづく)ともなく迷ひ出でぬ。
 用心厳しければ敵も迂潤には寄せ来たらず、かくて永禄三年もはかなく暮れ、明くれば四年の春の末つ方、弥生の空の長閑(のどけ)きに、しづ心なく散る花の雪に紛ひてはら/\と降りかゝるも面白く、軍慮の疲れを休めんと終日(ひねもす)野山を廻(めぐ)りし返るさ、日は西の山の端(は)に傾きて、照りもせず曇りもあへずと云ふ、朧の月の影を踏み、夜風にそ袂吹かせつゝ来かゝる路の片ほとりに、怪しや赤子の泣き声、これは如何にとよく/\見れば、生れてより半年(むつき)を越じと見ゆる男の児の襤褸(つゞれ)に包みたるが、母に添乳の夢や破れけん、声高くヤゝと泣く、如何なる人の種なるかは知らず、生みの我が子を野逕(やけい)に捨つるはよく/\の事なるべし、浅ましや不便やと抱き上ぐれば一通の書状添えたり、封押切れ女性(をんな)の筆の走り書きにて、元は当舘の御内にて少しは人にも知られつる者にて候ふが、様子あって夫を先立て侍りぬ、生み落したる男の児、頼りなき女子(をなご)の手一ツにて恙がなく養ひ上げんやうもなし、近頃押付けがましき業(わざ)には候へども、慈(なさけ)ある方さまになにとぞ行く末好きに頼み参らする、と心細き数々覚束なくも認(したゝ)めて、後の証拠(しるし)にもやと思ひけん、その奥には南蛮鉄の割※(#「手偏+帝」8482, 7472)枝(わりかうがい)、金(こがね)の鳩の半身を留めぬ、これは是れ正(まさ)しく見覚えある本荘三九郎が秘蔵の業物(わざもの)につけたるものなり、何さま指(かゞな)ふれば去年の冬城内を出でたる、彼が女房が産み落せしは此の赤子にてありつるよな、城を出でてより身を措くべき所もなく、かくは野の末に我が子を捨てしか、不忠不義の応報(むくひ)その妻子にまで及びて、路頭に迷ふは是非もなき事なれども、その罪を憎んでその人を憎まずと云ふなるに、まして罪なき稚さな児は返す/″\も不便の事なりと、抱き返りて窃かに婦(つま)にも申し含め、里の者より貰ひ受けしと披露なし、兎も角もして育つる程に親にも似もやらず最(いと)も愛らしげなり、殊に我には子と云ふもの無ければ、まことの我が子のやうに思はれて夫婦が手のうちの珠(たま)といつくしむ、子は未だ当歳の折なれば何事も弁へず、唯だ我々を誠の親と思ひて、父よ母よと啼く簑虫の、我が身の上のこと露ばかりも知らず。
 光陰は弦(つる)を離るゝ箭(や)よりも早し、五年の十二月大殿には仮初(かりそめ)ならぬおん疾病(いたつき)にてあへなく世を去らせ給ひぬ、伊予守殿(義久)おん跡を承けさせ給ふ、八年の九月落葉の袖寒き頃なりけり、寄手の大将は元就が孫少輔太郎輝元、吉川、小早川これを佐(たす)く、富田(とんだ)の城を十重廿重(とへはたえへ)に取囲む、味方は一年の籠城、天飛ぶ鳥にあらでは外へ出づべきやうもなく、今は城中の兵粮も残りなく竭きて外(ほか)に援けの兵者(つはもの)なし、殿にも今はと思(おぼ)されけん、敵の使を幸いに、文明十八年省心院(経久(つねひさ))殿こゝに居城ありてより八十一年の共の間、住み馴れたる城を致して、申すも無念、降人となって出でさせ給ふ。
 されば侍大将馬の口取に到る迄、皆阿容(おめ)/\と安芸方に降参なす、その折我は立原(之綱(ゆきつな))殿、山中(幸盛(ゆきもり))殿と心を協(あは)せ、北陸関東をめぐり/″\て、花の都に身を忍び時の到るを待つ、あはれ尼子の運末だ竭きずや、十二年の五月、毛利元就西海の大友と兵馬を構ふる風聞都に隠れなく聞えたり、素破(すは)やと天にも昇る心地して、本福寺に在(おは)する助四郎殿(勝久)を大将と仰ぎ参らせ、忍びやかに出雲に下り、蛟竜今こそ雲雨を得たれ、新山末次の両城を一揉みに攻め破りぬ、続いて富田の城を囲む、かくと聞えて吉川小早川、これに従ふ兵者一万五千、取って返して寄せ来たる、味方は又もやさん/″\の敗北、さても毛利の運の強さよ、それにつけても尼子の運! その折立原殿は打たれぬ、残るは我と山中殿、力の及ばん限りは再度の旗揚げせんものと、心を協せて大将を守護し奉り、うき簑笠に人の目を忍びで又もや都へ走せ上り、織田信長を力と頼み、羽柴筑前守殿の先鋒(さきて)に属す、去年(こぞ)の秋(天正五年)山陽道に攻め下り、この上月の城を乗っ取りし時の心地好さ、今に忘れず。
 新玉(あらたま)の春は来たれり、二月(きさらぎ)の初めより安芸の勢(せい)この城を囲む、攻むる者守る者互角の勝負に日を送る程に、筑前守殿こそ心得ね、敵の手剛きに後れやしけん、援けの勢を引揚げて高倉山に退きぬ、今は孤城落日、心ばかりは矢竹に※[#しんにょう+山+而]432頁(はや)れども身も金鉄にあらぬ悲しさ、入れ替へ/\押し寄する敵、味方は手疵の鮮紅(のり)を啜りて戦かふ、兄を打たせて弟は扶くれども力及ばず、父を庇ふ暇もなく児は已に倒れぬ。
 口惜しや情なや今此の如き無残の落城、大将にはおん腹めされしとか、山中殿には定めて乱軍のうちを紛れ出で、曽て口にせられし如く、この世に在らん心だめしに、猶も数々の辛苦を凌ぎ会稽の恨みを晴さん所存と覚えたり、其方も、と云ひかけて思はず涙を拭ふ。 あるまじき未練の振舞とも思ふぺけれど、桓山の四鳥すらも父子の別れを哀(かなし)むと云ふ、ましてや子で子にあらぬ怪しき因縁(えにし)、かねてなき身と思ひ知れば、命こそは惜しからね、父子の別れは哀しきぞ、母は過ぎつる年この世を去り、初め都へ上りし折其方を本福寺へ預け置きて、人なみ/\に手習学問させつ、戦敗れて再び上りし時、其方は已に十五の春を迎へぬ、初冠(ういかんむり)して五郎義次と呼ぶ、それより父子相並びて軍陣に臨み、筑前守殿とこの国に下りて、この上月の城を攻めつる時、忘れもせぬ其方の初陣。あはれ功名して勲功に預かれやと心に念じ居たりしに、げにあっばれ、薄手一ケ所だに負はず、冑首三つまで打ち取りぬ、その時父の喜びは如何ばかりぞや、それも夢の昔しとはなりけり、今は果敢なき此の有様、君命とは云へ其罪ありとは云へ、其方の父本荘三九郎を打ったるはかく云ふ我ぞ島田重次ぞ、とても逃れぬ最期(いまは)の際(きは)、其方の手に打たれなぱ、せめて少しは未来も安からうよ、頼む、イザ首打て。と長物語の息づかひ最(いと)もたゆげなり。
 五郎義次暫し茫然たりしが稍(やゝ)あって。思ひもかけぬ事を聞き候ふものかな、父にて候ふ常光がかゝる謀叛に最後を遂げし事共、今日の今までかつふつ存ぜず、唯だおん身を誠の父上とのみ存じ奉りしに承はって驚き入り候、父が最期はその身の罪、誰を恨まんやうもなし、栖(ねぐら)に迷ふ時鳥(ほとゝぎす)を幾春秋の御養育、須弥(しゆみ)滄海の御恩こそあれ、いかで刃を当てらるべき、この儀ばかりは。と云ひつゝ打ち見やれば、さすが剛気の十郎左衛門も痛手に弱りやしけん、今は返答(いらへ)もなく虫の息なり、五郎打ち頷きて進み寄り、手負ひを肩に引っ掛けてあたり見廻し二足三足歩みかゝる折こそあれ、いづくよりとも白羽の矢、飛び来たって背なる父にズックと立つ、ハッと見返れぱ、十郎左衛門、急所に透りし大事の痛手なれば其儘兵息もなかりけり。当の敵は何者ぞ、と急ぎその矢を引抜けぱ小刀にて書きたる姓名、汝(おの)れ備中国の住人清水長左衛門宗治。
 無念と歯を喰ひしばれども力及ばず、見廻せば秋草高くして人の影もなし、恨みはこれぞと件(くだん)の矢を切って棄て鏃(やじり)ばかりを懐ろに納め、遠く望めば上月城、兵火漸やく鎮まりて黒き烟りの其処とも分かず立ち昇る、おん大将をはじめとして兵者共の忠義の骨は最早灰とやなりぬらん、目前(まのあたり)には父の亡骸、いづれを見ても島田五郎、恨みの涙は腸(はらわた)を断つ、かくては果じと立上り、いづくともなく落ちて行く。
 折から彼方より一人の上臈、野菊桔梗荻萩の千草の路を踏み分けて覚束なくも走り来つ、思はず件の死骸に跣(つまづ)きて、アナヤとばかり伏しまろびぬ、月代(つきしろ)隈なくさし上りて、葉末にすだく虫の音高し。

夜半(よは)の梅雨(さみだれ)

 天正も十年と改まる、卯の花下しの晴間もなく、若葉隠れに時鳥を聞く頃とはなりぬ、羽柴筑前守秀吉八万の兵者を率ゐて又もや山陽道に攻め入り、岡山まで軍(いくさ)を進む、安芸方にはかくと聞くより、この度こそは油断すな、猿面冠者も先度に懲りて中々に不覚の振舞あるべからず、我にも十分の軍備をせよやと罵り噪(さは)ぐ。
 吉川元春、小早川隆景ひたひをあつめて帷幕に軍慮をめぐらす、今宵も檐(のき)の玉水音寂びて軍馬のいななく声微かに聞ゆ、兵卒入り来たりて手を支へ。清水殿出仕に候ふ。さては長左衛門には出仕致せしよ。と両人面(かほ)を見合せて形を改む、程なく入り来たる清水宗治、吉川はそれと見て。長左衛門近う進まれよ、羽柴秀吉又もや兵馬を我に向けたり、その勢ひ猛にして中々に侮り難し、和殿(わどの)は備中高松の城を守る、申すまでも無けれども随分力を尽して敵を防がんこと肝要なり、この方よりも日ならずして援けの兵者を参らすべし。小早川も膝を進めて。和殿が忠義は我も知れり、日頃忠勤の恩賞として知行加増の沙汰に及び候ふべし。宗治は暫時(しばし)詞なく頭を上げて両大将をジッと見やり、両の眼(まなこ)におのづと涙を含みぬ。
 そも秀吉が今度の合戦、安芸方の手剛きはかねて知れば、ひそかに使を遣はして諸国の豪傑を招き、重き恩賞を餌にして味方に釣り寄せんづ計略、恩を忘れ利に迷ふの族(やから)は、心眩みて膝を折り、羽柴の幕下に参るもありと承はる、さりながら長左衛門宗治、身不肖なれども未だ大義を忘れず、百万石の知行を受くればとて、義士は盗泉の水を飲まずと云ふ、おめ/\敵に降参して汚らはしき恩賞なんど思ひも寄らぬ事に候ふ、日頃神にも勝る申し合へる両大将にも、某(それが)しが曇りなき胸のうち、おん見透かしには相成らぬよ、加増のお沙汰忝けなくは候へども、察するところこの宗治が、万一羽柴方に参らんかとのおん疑ひ、その心をば翻へさせんづ為め、わざと此度(こたび)の御沙汰には候はずや、弓矢八幡、甲部の川は逆しまに流るゝとも、高松の城死を以て守らんこと宗治誓って、御覧候らへ備中一国は申すに及ばず、山陰山陽の両道拳(こぞ)って羽柴に旗を伏すればとて、人はいざ知らず、この宗治はいかな/\、指(かゞな)ふれば四年以前、君の御馬前に槍を取り、上月の城を攻めつる時、武運にや叶ひけん度々(どゞ)の功名、君の御感に預かりて遂には備中高松の城の主(あるじ)とはなされぬ、その高恩は申すに余りあり、さるに何ぞや、この期に及びて変心なんど、この宗治を二張の弓引く武夫(ものゝふ)とは思(おぼ)されしか、利に迷ふ犬自(いぬじ)ものとは御覧ありしか、余りと申さぱ情なや、近項恐れながら恨めしう存じ候ふ。
 思ひ余って長左衛門宗治、席を丁と叩きて小膝をジリゝと進む、瞼には露の雫を宿して物言ふ唇は顫ふ、誠は満面に顕はれたり。さこそと察し入る両大将、吉川は打ち微笑みて。いやとよ長左衛門、和殿の忠義は日頃より知らざるにあらず、さりながら戦国の常、人を疑ふにはあらねども、腹心股肱とて中々に油断は成り難く、万一を計りてかくは申せしぞ、構へて/\悪しくな思ひそ。小早川も面を和らげ。和殿の述懐一々道理至極せり、己れを推して人を量(はか)る、我が心のうちも見られて今更に恥かし、加増の沙汰は兎も角も、猶この上ともに忠義を顕はされよ。
 士を愛する両大将の厚き詞、宗治が胸も朝の霜と消えて跡もなし、胸に溢るゝ勇気は禁(こら)へかねてや坐を進め。寄手の勢は八万余騎と承はる、先づ第一には高松の城を取り囲まんこと疑ひなし、大将おん手を下させ給ふに及ばず、数ならねども長左衛門宗治、かくてあらん其のあひだは、一人たりとも此方へは足を踏ますべからず、宗徒(むねと)の兵者共必死を極めたらんには、河内の判官が例(ためし)を引くも鳴呼(おこ)がましけれども、孤城に天下の勢を支へたる千剣(ちはや)の守りにもやわか劣り候ふまじ、砂利鉄石は砕くるとも忠義の一心に固めし城、何百万騎寄すれぱとて、何百日囲めばとていかで、未練の振舞ひ候ふべき、上方勢を微塵に打ちなし、猿面冠者を追捲らんこと掌(たなそこ)を反すが如し、み心安く思し候へ。げに頼もしき其の一言、高松は備中第一の要害、これ守らんこと和殿ならでは外になし、返す/″\も頼み参らする。委細心得て候ふ、直ぐさまこれより夜を籠めて本城に走せ帰り、防禦の用心仕らん。
 猛将勇士軍議に余念なく短き夏の夜は更け渡りぬ、イザやと宗治は暇申して御前を退き二の木戸まで来たりし時、誰かは知らず薄暗き小蔭より簑笠着たる一人の男、スル/\此方へ走り寄る。
 油断なき長左衛門、何者ぞと透かし見る暇もなく、蓑笠かなぐり棄てゝ直垂(ひたゝれ)の袖ムズと握(つか)む、狼籍すなと振払へば、闇にも閃めく白刃の光、アナヤと身を拈りて敵の拳(こぶし)をシカと取る、サウはさせじと角力(すまへ)ども、此方は聞えし猛者(もさ)なり、力あくまでも剛なれば、難なく得物をハタと打ち落しぬ、仕損じたりと心慌てゝ短刀(こだち)を抜かんとする間もあらせず、ツと寄せて敵の小腕(こかいな)、取るより早く捻ぢ伏せたり、折から来かゝりし見廻りの軍兵、こは如何にと松火(たいまつ)さし出せば、年まだ若き男の雑兵(ざうへい)すがたに出立(いでたち)たるが、甲斐なくも長左衙門に取って伏せられ、半身路の泥に塗(まみ)れぬ。
 さては忍びの曲者よと噪(さは)ぐ軍兵を制して彼方に向ひ。今中国に聞えたる清水長左衛門を和殿如き小冠者が打ち止めんとはしほらしゝ、かくも姿をやつして城内に入り込むからは定めて上方(かみがた)の勢ならん、一人にて敵地に来たるは名ある武士(ものゝふ)なるべし、名乗れ聞かん。と打ち見やれば彼方は力なく頭をあげ。運拙なくしてかくなるからは今更何をか申さんや、唯だ此の儘にはからはれよ。と思ひ極めて云ひ放つ、長左衛円は打ち頷き。げにさもあるべし、兎にも角にも御前に牽(ひ)かん。
 両大将はかくと聞くより、この堅固なる城中に敵忍び入りしとは由々しき大事なり、厳しく詮儀致すべしとて件(くだん)の曲者を椽の下に引き据えしめ、吉川はそなたに向ひ。かくまで用心堅固なる城中へはいづくよりして忍び入りしぞ、そも汝は何者ぞ、名乗れ。と席を進めて問ふ。こなたは中々に臆(おめ)たる気色もなく。されば候ふ、身不肖なれども武士の端くれ、形の如く系図姓名なきには候はねど、名乗ればとて人の知るべき者にはあらず、武運竭きてかく幽囚(とらはれ)の身となる、片時(へんし)も早く刑に行はれよ。と観念の眼を閉ぢて自若たり、燈燭(とひしび)の光にてよく/\見れば、その面貌(おもざし)は尼子が侍大将島田十郎左衛門重次が一子五郎義次に似たり。
 小早川はかくと見て。やをれ曲者、恥を知り名を包むは無理ならず、さりながら仮(たと)へ包めばとて、隠せばとて何(な)どか其儘に相済まさんや、汝は確かに見覚えあり、去(さん)ぬる六年七月、上月没落の其のみぎり、乱軍のうちにて出で逢ふたる島田五郎義次、敵ながらあはれ好き武者振りやと年月移れども今に忘れず、その折より行方知れずと聞きつるが、さては。とそなたをきっと見やる、かなたは少しも騒がず。アイやそれがしは左様なる覚えいさゝかも候はず。
 おのれ、この期に及びてまだ/″\未練に包むよと、小早川は少しく面をかへて、猶も責め問はんとする折から、あわただしき足音、軍兵一人一散に走せ来たり。御注進候ふ。ナニ注進、と皆々思はず座を進むれば。されば候ふ、直今城内にて竹子笠に面を包みし曲者、怪しと走せ合うて引っ捕へんと致せしところ、這奴(しやつ)身の軽きこと狙(ましら)の如く、高塀乗り越え走り出でんとす、逃しはやらじと追ひ縋る程に、こなたを目がけて飛ばせし手裏剣、味方の一人にガバと立つ、その隙に身を躍らしていづくへか行き方知れず、その手裏剣はこれに候ふ。とさし出だせば長左衛門つく/″\打ち見やり。南蛮鉄の割楴枝(わりこうがい)、金(こがね)の鳩の半身を留めしは中々に稀代の作なり、如何なる者が。と思案の首(こうべ)を傾むく、以前の曲者はかくと聞くより何思ひけん頭を上げ。金の鳩の割楴枝とは。とこれも不審の眉をひそめぬ。

他国(たこく)の旅人(たびうど)

うしろの山は高くそびえて若葉のみどり欝蒼深く、前なる小川は散り浮く花のニツ三ツ春の名残をとどめて潺涓(せんけん)流る、夏木立のうちに三四軒の茅葺屋根、まさに是れ天然の画、一幅の初夏山村の図! 夕陽の影を追うて細き田甫路をたどり来る旅人(たびうど)、長の旅路に疲れやしけん、破草鞋(やぶれわらじ)の足もと力なげに此の草の家の門口(かどぐち)に立ち寄り。御免下さい。と内を伺へぱ、反古(ほご)張りの障子サラリと引き明け、背向(そがひ)に半身を露はせしは此の家の主婦(あるじ)なるべし、年の頃五十路(いそじ)ばかりなるが、糸車の手を停めて。誰人(どなた)でござるよ。イヤこれは旅の商人(あきうど)、高松の城下へ参る者、長の道中に歩み疲れ、ほと/\難義致しまする、しばし檐先を拝借は叶ひませぬか。それは最(いと)安いこと、長の旅ではさぞかし、サア/\こなたへ。と田舎人(いなかうど)の親切、口数云はぬは云ふに弥(いや)増(まさ)る、箒を取りて立上り、掃けば稜毛(のげ)のみさゝくれ立つ、破れ畳を掻き掃ひ、イザこなへとのあるじ振りに、旅人は心嬉しく檐の先に腰打ちかけ、烟草くゆらして門(かど)なる古木にほ這い纏はれる藤の花の、時知り顔なる紫を余念もなげに眺めて居れり。
 あるじが汲んで出す渋茶を押し戴きてグッと干し。これから高松までどれ程ござりまするな。まだ半道程、この向ひに見える杜(もり)を左へお出でなされ、細い道を何処までも行けば町外れに出ます。フム、半道程。と茶碗を下に置きて暫し思案の体なりし、何か思ひ当りけんニジリ寄りて。われは岡山からはる/″\あきなひ来たもの、さっき噂に聞けば此の御城下にどうやら合戦が始まるさうな。あるじは眉を顰めながら打ち頷き。それよ/\、何か騒がしい風聞、上方から羽柴筑前守といふ大将が近々に寄せて来ると云ふ取沙汰で、御城下一円は一方ならぬ騒動、こゝらあたりまで何と無くざは/\と、アゝ厭やの/\。さればサ、私(わたし)も此処へ来る道中で、ソレ/\青江の手前で上方勢を見受ました。フムそんなら羽柴の勢をお見やったか。それは/\勇ましい陣立、なんでも十万人もあるさうな、あの勢で寄せられてはとても高松も。と云ひかけて思はず口をつぐみ、あるじが心配さうな顔をジロリと見て。イヤ/\併しこちらより大分豪い大将、清水様と云ふが御坐るさうな、中々さう容易な事でにあるまい、勝つか負けるか一六勝負ぢゃ。とは云ふもの、中々に案じられまするよ。それは道理、シテ安芸の方からは援けの軍勢は来ませぬかな。サア一日も早うと皆待って居ますぢゃ、が、まだ其のやうな噂も根ッから。ハテナ併しよもや安芸の方でも唯だ見ても御坐るまい、いづれ晩かれ早かれ。まア/\それを待って居ますぢゃ。イや左のみ案じたものでない、シテ御城中ではモウ悉皆(すつかり)用心は出来て御坐らうな。モウ疾(とう)から其の御用意、サアと云っても大事ない手配り、中々用心は厳しく、怪しい者と見れば直ぐに搦めて詮義なさるさうな。それでは他国の者は御城下へは。サアこなたも随分気を付けて。フム。と旅人は当惑顔、こなたはそれと気もつかず。もしウカ/\御城下へ行って敵の間者(まはしもの)か何ぞのやうに思はれたら、飛んだ難儀に逢ふも知れぬ。それは又迷惑、根(ねつ)からの商人でも、もし間者などと疑はれては堪った事ぢゃない、ハテどうがな。と腕を拱(く)む顔さし覗きて、イヤイヤ心配なされな、この杜を右へついて、アレあの独木(まるき)橋を渡って一筋道を行けば笠岡の方へ続く近道。と檐先へ立ち出でかなたを指さす。何さま危うきには近寄らずとやら、御城下へ行くのは止めにして笠岡の方へ行って、模様を見るとせうよ。それ/\、それが何より、知らぬ他国の人に飛んだ難義を掛けては気の毒、此の道を右へくと行くが好いてや。思はぬ長物語に棲(ねぐら)へ帰る鳥の声、日影も已にかたむきぬ、そろ/\出掛けようよ、と旅人は心も細き草鞋の紐締め直せば、根(ねつ)からお構ひもせず。又戻りにはお尋ねせう。と暮れかゝる空打ち仰ぎて立ち出づれば、門口まで見送るあるじ、旅人は思案投げ首二足三足行きかゝりしが、笠深く打ちかむりて杜のかたへとたどり行く後ろ影。アゝコレ/\道が違ふ、右へ/\。と呼ぶ声を跡に聞きなし旅人は、左のかたへ一散に細道伝ひに走り行きぬ。
 あるじは見えずなる迄伸び上りて打ち呟やく。さても笑止(せうし)や、あれ程くどうも云ふたるに、聞き違へてか右のかた、ウカ/\してお上の目に留っては、イヤ/\それとも、もしや敵の間者ぢゃあるまいか、何にもせよざわ/\して落付かぬ事や。と又も糸車に余念なし。
 夕暮の烟深く鎖して山寺の鐘の音は低く響く、定めなき五月(さつき)の空の又掻き曇る雨催ひ、茂れる若葉の影の影暗く、沼の蛙(かわづ)の声たも哀れなり。
 やう/\十歳(とう)を一ツニツ越えたるばかりの男の児、これも人の子、如何にしてかうは成り果てしぞ、海松(みる)の如き襤褸(つゞれ)の、袖さへも合はぬ羽抜け鳥、足もしどろに路(みち)捗(はか)行かず、折りたる枝の杖を力にて、おぼつかなくも歩み来る、振分けの髪はおどろに乱れて面はやつれたれども何処やら清げにて。情けに物たべ。と差出す手は紅葉に似たり。
 喃(なう)いとしや。と小銭ふたつ三つ取り出だせぱ、物の碌々に得云はで押し戴く、あるじは兎見(とみ)かう見て。これよりいづくへ。定めはなし。夕暮に宿仮す家もあるまじいに。木の根藪のなかが常の宿! はかなき言の葉もそゞろに哀れ、かなたの瞼のうるみし時こなたの袂もおのづと時雨(しぐ)れぬ。空も暮れ、かゝる曇って来たに、二三町行けば杜のなかに鎮守の祠(やしろ)、降らぬうちに早う。と優しく云へぱ打ち頷き見返り勝にたど/\と行く後ろ姿、高野(かうや)の麓に行き悩みたる石童丸か、隅田(すだ)の川原に梅若丸か、云ふも哀れ、これは是れ萩野中納言光時卿の公達!
 冠履(くわんり)所を異にするは乱世の常とは云へ、余りと云へば浅ましき限り、山名細川の両執権ほしいまゝに洛中へ兵戈をまじへ、応仁このかた都は塵に埋もれぬ、元弘建武の乱やうやく納まりてより凡そ百余年、民太平を謡ふに暇あらず、又もや此処に修羅闘諍、降りゆく雪と眺めてし交野(かたの)の桜も床しき物見車には引替へて繋ぐは軍馬、嵐にいなゝく蹄には狼籍の花を散らし、錦繍(にしき)を着て返ると云ふ嵐の山の紅葉も、優しき幔幕には似もやらず靡くは旗指物、夕陽に輝く紅ゐは兵者共の物具(ものゝぐ)と色を争ふ、兵火は天をこがして夏のゆうべの月を奪ひ、兵皷は耳をつらぬきて冬の夜の夢を駭かす、馳せ違ふ千軍、行き合ふ万馬、白刃はきらめき征矢は飛ぶ、無残! 云ふも中々に余りあり。
 これより前後九十余年続いて兵馬は歇む時なく、三好松永の者ども威勢を振ひ、天下(あめがした)は糸の如く乱れ麻の如く縺(もつ)る、されば凡下の者共はさらなり、九重の雲の上びとに到るまで中々に安き心もなく、尢抹履р「て夜半の霰も心を驚かす、はる/″\乱を避けて中国の果てにさまよふも尠なからず、同じ思ひの萩野中納言、住み馴れたる六条の館(やかた)を跡にして、従者(ずさ)をも具せず北の方と唯二人、永禄七年春三月霞と共にと詠みたりし、歌の心にはあらなくも、散り行く花の都路を心細くも落ちさせ給ふ。
 大内は已に滅び尼子は倒れぬ、今は頼まん蔭とてもなし、備中松山の城主三村修理亮元親(もとちか)は曽て上洛の折り面は識れり、これを志ざして訪問(おとづる)れば、元親快よく承け引きて、片山里のよろづ鄙びたる、都のお方にはさこそ疎ましう思(おぼ)すらめ、それさへ厭はせ給はずは、と云ふ。卿にも今は心落居て北の方もろ共に暫時(しばし)は此処に足をとめ、心安らけく日を送り給ひぬ。さりながら猶恋しきはふる里なり、高倉の山に高く昇る月の、影は昔に変らねども、玉殿に管絃を奏せし夕も忍ばれて、明け暮れ都のたより聞かまほしく思えども其れも叶はず、長良(なが)の川は長く流るれども双(ふたつ)の鯉(うを)の音信(おとづれ)もなく、僅かに止まりし袖の花の香、これのみぞ都の春の形見なる。
 かくて一年(ひとゝせ)も過ぎつる程に、将軍義輝公には三好松永の為めに打たれ給ひしと聞えたり、さては思ふにまさる都のさまよと愈々果敢なく思されて窃かに涙を拭はせ給ふ、元亀二年の春の頃より北の方にはおん身の重く覚えられしが、霜月の末つかた御産つゝがなくして若宮御誕生あり、あはれ雲井に在りし其の昔なりせば、弄璋(らうしやう)の御慶とて門前に車馬市(いち)をなすべきに、今は天下(あまくだ)る鄙に迷ひ出で給へぱ、桑の弓引き蓬(よもぎ)の矢射る人もなし、されども元親が待遇(もてなし)は初めに変らず。
 月日は夢の間に移り行きて天正六年の春とはなれり、備前美作の国主浮田直家、日頃より隣国の好(よし)み互ひに相往来する程に、早晩(いつし)か彼(か)の北の方を見始(みそ)めぬ、さすがに都の上臈の爪はづれ尋常なる、少しく花の盛りは過ぎつれども画ける雛を見るが如し、打物取っては随一の剛の者と聞えたる直家も、恋は苦しきものよ、思はぬ人を思ふなる、さしもの髭男もきのふ今日は思ひにやつれぬ、如何なる人かは知らず、あはれかゝる上臈を、と人を以て元親に申し入れしに、これは萩野中納言殿の北のおん方にて候ふ、都の軍諍(ぐんじやう)を避けて此処に在(おは)せども雲井に近きお方ぞかし、且つは殿の其儘おはするに、如何で、と答ふ、今は望みの綱も切れたり、直家が執念いっかな去らず、心利きたる兵者に申し含め、ひそかにかの人を奪ひ取らんと謀りぬ、鈍(をぞ)や計略その図に当らず、元親が怒りはひと方ならず、おのれ直家かくまで我が心を籠めてかしづき参らするおん方に対して重ね/″\の無礼は奇怪なり、目に物見せてくれうづ、と罵る、これより両国のあひだ睦ましからず。  直家ひそかに謹言を溝へ、修理亮元親は都の織田に心を通はすよし言上す、さしも名智の小早川も、彼の舌頭に惑はされてや、但しは別に思ふよしやありけん、宍戸隆家に下知を伝へ、したがふ兵者干余人不意に押し害せて松山の城を囲む、城中慌て拒げども力及ばず、一門枕をならべて尸(かばね)は城を埋め、元親は猛火の中に腹掻き切って失せぬ。
 その折り中納言殿には北の方もろ共に今年八歳(やつ)になり給へる藤若殿の手を取りて烟りのうちを最(いと)も危うく落ち給ふ、足弱連れの捗取らず、日数(ひかず)経ぬれば美作の国を打ち越えて播磨路へたどりつきぬ、吉川小早川あたかも上月の城を囲む、けふ明日は落城との風聞しきりにて人心穏かならず。
 とある野原にさしかゝるに、秋の初めの風冷やかに茂れる尾花を掻き分けて心細くも歩み行く、乱れたる世の習ひとて野武士と云ふ者共、そこらあたりにさまよひて、かくと見るより、あれは都の人と見ゆるぞ、と囁きて物奪はんとや十人余りばら/″\と走りかゝりければ、アナヤと駭き惑ふを逃しはやらじと追ひ掛くる、三人は気も魂も身に添はず、息もスタ/\走る程に、互ひに顧りみるに暇なく、親子三人は分れ/\、その行き方は知れずなりぬ。
 藤若殿は父上にも別れ母上にも離れ、今は身を置くべき所とてもなし、世に在らぱ高家の公達、今は浅ましき袖乞ひの境界、定めもなくさまよひてこゝに早や四年、父中納言殿は無残やその日野武士の手にかゝりぬ、母上は如何(いかゞ)なしけん。  ひとしきり降る雨も又もや晴れて、雲間よりきらめく星の影、昼だに小暗き木立のうち、常夜燈の光微かにして薮蚊の声も哀れなり、古りたる祠の檐先に熟睡せるは最前の藤若殿、結ぶは如何なる夢か覚束なし。
 折から泥濘(ぬかるみ)蹴立てゝ走り来る、これ最前の旅人、社殿のうしろへ衝(つ)と入りて姿は見えず、続いて走り来るは夜行(よまはり)の軍兵三四人、そこらあたりを見廻せども、その影とても無かりける、ハテ心得ずと木立の間に到るまで隈なく探るそのうちに、椽に臥したる藤若殿を見出だしぬ、這奴(こやつ)も怪しと取って押さへ、元来し路へ引っ返す。

死出(しで)の田長(たおさ)

 今宵高松の城中には清水長左衛門宗治軍議を開く、浮田直家安芸の命を蒙り、援けの兵者を率ゐて同じく此の城に在り、それ/\評議は早く纏まりぬ、イザヤと退出する長廊下、あなたの松の小蔭なる一間に当りて琴の音聞ゆ、ゆかしき音色やと心ともなく庭に下り立ち、ひそかにこれを伺へぱ三十歳(みそじ)余りの上臈の燈燭(ともしび)のもとに琴弾くなり。
 めづらしやとよく/\見れば、思ひきや、これは此れ我が命に換へてもと思ひして恋人萩野中納言の北の方なり、嚢(さき)に三村元親を攻め破りし時、行くへ知れずと聞えしが、猛火のうちに焦れやしつらん乱軍のうちに討たれしけん、とそれより四年(よとせ)の間、心の駒に打つ鞭の、うつゝともなく夢ともなく、その面影は更に忘れず、如何にして生存へ(ながらへ)て此処にはありしぞ、アナ覚束なと猶も瞳を定めて打ち見やるに、如何で忘るべき、如何で見紛ふべき、まさしく其の人なり、さりながら此の城中にあるからは、我が望み叶はぬにあらず、今こそはと心の喜び、そのまゝ長左衛門が寝所に赴く、さしもの勇士も恋の寄手は防ぎ難し。
 清水殿、直家に候。それは浮田殿イザ/″\。思ひの外の今宵の軍議、事なう纏まり重畳でござる。何さまかく手配りの整ふからは猿面冠者の五万十万蹴散らすことは。と鬚を拈りてカラ/\笑ふ。如何にも/\、その儀は少しも懸念はござらぬ、早く矢合せの日を相待ち居る。イヤ浮田殿には夜中の入来、密々の儀でも候ふよな。と他念なき長左衛門、小膝を進むれば直家も、しばし躊躇(たゆたひ)しが気を取直し。異(ゐ)な事をお尋ね致すが此の隣りの一間に琴弾かるゝ上臈は如何なる人にて候ふぞ。知りながらかく故(わざ)と問ふ、急かば廻れ! イヤあれに候ふ上臈は萩野中納言殿の北のおん方、去(さん)ぬる六年の秋上月没落の其のみぎり、我が手の者共搦め取って引き据えたり、アラ痛はしやと剿(いた)はりて其の仔細を承はるに、夫中納言殿と稚なき公達もろ共、松山の城を迷ひ出で、この播磨路へ掛りし時、野武士共に追っ取り罷められ、分れ/\に走り来てかくの仕合せと袖に涙を宿して口説かるゝ、さては此の上月の人にはあらざりしよ、さりながら中納言殿のおん行方相知れずば、行く手定めぬ旅衣の、夫(つま)に分れては如何にすべきと云はるゝ詞も無理にはあらず、さらば兎も角もと此処へはおん伴致せしなり。
 直家ハタと小膝を打ち。さては左様(さう)よ、それにつけて直家和殿(わどの)に一ツの願ひあり、如何にお聞き済み下されるや。何かは知らず、疾う/\語り聞かされよ。さればなり、直家先年室(つま)を失ひ、未だ定まれる後添(のちぞひ)なし、あはれ和殿がはからひにて頼り少なきかの上臈、我は備前美作の城主、さのみ不足にも候ふまじ、結ばるべき因縁(えにし)ならば。と言ひ畢りて流石に面はゆくや差うつむく。黙然として聞き居たりし清水宗治。こは浮田殿の詞とも覚えず。ナニ。と頭を上ぐれば彼方はきっと形を正す。そも二君(じくん)に事(つか)へず両夫に見(まみ)えざるは忠臣貞婦の本分、浮田殿にも定めて御存じなるべし、かのおん方には、明け暮れ夫子(つまこ)恋しと打ち泣き給ふ、兎にも角にも来たるべき口を待ち給へと慰め申して今日迄は打ち過ぎぬ、よしや中納言殿すでに此の世を去り給へばとて、知らぬ他国にさまよひて再び人の妻とや成り給ふべき、ましてや卿のお行くへ、おん生き死すらも定かならぬに、如何でか心を翻へさるべき、たとへ富婁那(ふるな)の弁を振ひ千万言申せぱとていかな/\、且つ身不肖なれども長左衛門宗治、弓矢を取って敵にこそ向へ、及ばぬ恋の取持ちは仕らず、この儀は平(ひら)に。と言ひ放つ。さすがは理の当然、直家は暫し詞なし。
 隔てたる一間には北の方、琴の手を止めて想はず漏れ聞く両人の物語、ハッとばかりに打ち駭きぬ、執念くも我を慕ふ浮田直家、叶はぬ恋の恨みより恩ある人(三村元親)はあへなく国を亡ぼされ、親子夫婦は居どころを定めず、覚束なくもさまよふうち、夫(つま)には別れ子は失ひぬ、これ皆な直家の為めぞがし、かくて清水殿の情により此処に四年の間、心ならずも足をとゞめ其のま、月日を送りしに、又もや今日とて直家に見出だされぬ、如何にせましと兎つ逐ひつ、聞くたび毎に胸躍る。
 直家は何思ひけん衝(つ)と立ちて。如何にも云はるゝ如くそれも一理あり、縁あらば兎も角もなるべし、何はともあれ夜も更けたり、暇申す。と其のまゝ其の坐を退きぬ、折りから軍兵三四人藤若殿を縄からげ、縁先近く引据えたり。
 始終聞き終りてホッと吐息つく北の方、かほど迄に深き直家の執心、清水殿の今の一言にて引き戻さんとて心許なし、彼は勇あれども義を知らず、又もやこれを遺恨に啣(ふく)みて、如何なる事のあらんも知れず、已に此の身故に三村殿を失ひぬ、この上恩ある清水殿に危難ありては義理立たず、所詮魅(みゐ)られしが逃れぬ身の因果なり、兎(と)ても角ても沈み果てたる身の、今はかうよと覚悟を極めぬ、さるにても中納言殿、藤若は如何になしけん何処(いづく)にあるぞ、日本は広くとも日頃の思ひの通ぜぬか、西か東か何処の果てぞ、見上ぐる空に鳴くひと声は、雲井を翔(かけ)る鳥かと思へば羨ましく、血を吐く辛さは我も変らず。
 こなたには藤若殿、見はてぬ夢を駭かされ、アナヤと云ふ間もあらばこそ、世に情なき縛り縄、其のまゝ此処へは引っ立てられ、如何なる仔細かは知らねども、縄取る軍兵の眼(まなこ)も凄まじく、さては此のまゝ打たるゝ事よと稚な心の分け迷ふ、あなたの襖の其の中には尋ぬる母上の在(おは)さんとは、こなたも知らず、そこに恋し我が子のありぞとは、かなたも知らず、知らず/″\に消えて行く、母も哀れに子もはかなし。
 清水宗治ひと間を立ち出で、そなたを打ち見やり、それなる小伜は如何(いかが)なせしぞ。軍兵共謹んで。イヤこれは村外れの鎮守の祠に打ち臥したる者、怪しと引っ立て参って候ふ、今一人胡乱なる商人体の者、これも引っ捕へんと存ぜしところ足早くして。さては取り逃がせしよな、羽柴方の間者ども何程のことやあらん、見当り次第に打ち果せ。畏まって候ふ、シテこれなる小伜は。かれこれ詮議も事々し、この場に於て首打ち落せ。
 乱世の猛将とは云へ、慈悲も容赦も荒気の一言、心得候ふと立ち上る軍兵、きらめかしたる白刃の光、無残! 細首前に落つれば骸(むくろ)はハタと倒る、かなたの一間にもアッと叫ぶ声、母子(おやこ)の魂いづくに迷ふ。
 空は又もや曇りてサッとひとしきり降り来たりぬ、乱調に響く陣鐘太鼓、凄まじき猛火の光、素破(すは)やと立ち出できっと見やる。さては羽柴の勢の不意に押し寄せ、村外れに火をかけたりと覚ゆるぞ、七郎二郎は在らぬか、伝兵衛参れ、敵は多勢にはあるまじきぞ、直冑(ひたかぶと)の兵者(つはもの)五十騎ばかりを引率して無二無三に追ん捲れ、闇夜の合戦とて不覚すな、敵は地理不案内なり、追っ取り籠めて深田の中に打ち落せ、軍(いくさ)難儀と聞くならば我も続いて出づべきぞ、疾う/\用意然るべし。と大音声に下知を伝ふ、ハッと答へて兵者共、宙を馳って飛んで行く。  あわただしき物音、足も空に倒(こけ)つ転びつ走り来る侍女(こしもと)。呉羽様は。と跡は得云はずかなたを指す。ナニ呉羽御前が。と立寄る襖サラリと引き明くれば、鮮血(のり)一面に溢るゝ紅ゐ。何故の御生害! と抱き起せば杜若(かきつばた)、雨に砕けて力なし、折からドッと上げたる鯨波(とき)の声、軍は今や最中(もなか)と見えたり。

兄弟(きやうだい)の対面(たいめん)

 あやなき闇を照らす兵火、烟りのうちを幾百の兵者共、雨後の泥濘(ぬかるみ)を踏みて縦横に走せめぐる、敵も味方も勝負未だ定まらず。  清水の侍大将難波伝兵安信、闇には屈竟の出立、黒革威(おどし)の鎧を着して栗毛の駒に乗ったりける、鐙(あぶみ)踏ん張り突っ立ち上り。やをれ者共、敵は浮足立って見えたるぞ、この図を外さず進め/\。と大音声に叫ぶ、寄手の大将は木村常陸介、これも最前より馬上に味方を指揮して居たりしが、あれこそは城方の大将と見ゆるぞ、故(わざ)と冑を猪首に着なしたれば、その内冑まことに射好げなり、ひと矢くれんづ、と村滋藤(むらしげどう)の弓に十三束の中黒の征矢(そや)キリ/\と絞り、放てば覗ひ誤たず、矢はさながら流るゝ星の如く、伝兵衛が内冑にグスと立つ、主(ぬし)は堪らず鞍壷より真逆倒(まつさかさま)! 主を討たせじと郎等共、肩に引っかけ引き退く。
 素破や軍は勝ちたるぞ、と羽柴の勢は潮の湧くが如く無二無三に寄せ掛けたり、城方弱きにあらねども、大将を射させて力及ばず、あはや総崩れとならんとす、折から汗馬に鞭をくれて走り来るは末近七郎二郎信実、汚なき味方の挙動(ふるまひ)よ、大事の軍はかうするぞと手の者百騎おもても振らず突いてかゝれば、さしもに猛なる羽柴の勢も少しく厭(あぐ)んでぞ見えたりける。
 時移りては詮なきぞ、唯だひと息に蹴散らせ。と七郎二郎が破(わる)るが如き大音声、これもやわか逃さじと常陸介が放せし征矢、敵の胸板にガッシを[#「と」の誤りか]中(あた)る、矢がら砕けて飛び散ったり。ナニこれしきのへろへろ矢、大将は木村殿か、常陸介か、見参せん。と大刀を振りかざして馬を寄する、その勢ひ百千り雷(いかづち)の落ちかゝるが如し、常陸介其の擬勢にや慴(おそ)れけん馬をめぐらして引き退く。おのれ常陸介、戦場の習ひやわか其のまゝ逃さんや。と駒を早めて追うて行く。
 走る者追ふ者行くことかれこれ数町あまり、ひとむら茂る木立のうちより顕はれしは第三回に見えたる旅人なり、懐ろより取り出だすは近きころ我が国に伝はりし飛道具なるべし、火蓋を切ってドウと発す、馬は太腹を打たれていなゝき高く、其のまゝ其処にガバと伏す、信実早くもヒラリと飛んで下り、敵はいづくときっと見やる、件の旅人は飛道具カラリと投げ棄て、腰なる一刀抜くより早く走りかゝって微塵になれと切り付くる、あはやと云ふ問もなかりけり、信実飛びしさってハッシと受け止め、一上一下二打ち三打ち、その隙に常陸介の姿は見えずなりぬ。
 城方の兵者十余人、信実の跡を慕うて喘(あへ)ぎ/″\走せ来たりしが、すはやと追っ取り罷めて打ってかゝる、四方の敵を受けつ流しつ、旅人は茲を先途と戦ふ。折しもあなたの杜より又もや顕はれたる怪しの旅人、これも一刀を抜きかざして走り寄る、敵か味方か、城方の一人は見る間に切り伏せられぬ、さては敵には援兵(たすけ)あるぞと狼狽(うろたへ)騒ぐ城方の者共、信実制して、もとより目指す敵にはあらず、暗夜の合戦難義なり、殊には味方の様子も気配(きづか)はしと早くも伝ふる合言葉、心ならずも敵を捨て刃を引いて引き退く、ふたりの旅人は長くも追はず、何思ひけん刀を鞘に納めて分れ/\に走り行きぬ、サッと来る夜嵐に木梢の雫はら/\/\、鳴き歇みたる沼の蛙の声高し。
 隈なく照らす篝(かゞり)の火、羽柴筑前守秀吉が陣所には敗軍の注進頻りなり、大将秀吉心甚だ安からず、不なり常陸介いかにやしつる。と云ふ其の気色おどろ/″\しく、左右に従ふ人々皆な手に汗を握らざるはなし。
 軍兵走り入りて手を支へ。直今御陣所の門前に旅人体の者推参なし、君の見参に入らまほしと申す、如何にはからふべくや。と伺ふ、秀吉眉をひそめて。知らぬ旅人が我に対面せんとは如何なる者か、兎にも角にもこれへ召連れよ。左右の人々これを扣(ひか)へて。アイや今深く敵地に入る、如何なる者が姿をやつして大将に近づかんと謀らんも知れず、迂闊の御対面御無用なり、厳しく縛(いまし)め詮議に及ぶべし。と信立(まめだち)て申す、大将は頭を振り。その遠慮は無理にはあらず、さりながら彼れ如何程の事なし得んや、直々(ぢき/″\)に対面して糾してくれん、疾う/\これへ呼び出せ。
 承はりぬと立ち上がる軍兵、年まだ若き旅人体の者を引っ立て参る、秀吉つく/″\打ち見やり。何者なるかと思ひしに汝は本荘四郎三郎にあらずや、去月安芸へ遣はしたる間者の役目、首尾好う仕遂げたるや如何に。と問ふ、件の旅人は頭を上げ。仰せには候へども本荘四郎三郎なんど身に取りて聊(いさゝ)かも覚え候はず、四年(よとせ)以前君の見参に入り奉つりし尼子が侍大将島田十郎左衛門重次が一子五郎義次にて候ふ。
 秀吉と見かう見て小膝を丁(ちやう)と打ち。げにそれ、四年以前面(おもて)を合はせし事のありつるよ、上月没落の其のみぎり行くへ知れずと聞えしが、さては恙なく世にありしよ、シテ如何なればこの処へは。されば候ふ、その折打死すべき命を生存(ながら)へ、父の遺言に任せ諸国を遍歴して時を待つこと茲(こゝ)に四年、このたび君には又もやこの地へ下向あり、あはれ一ツの功を立て、おん旗下に参らばやと窃かに安芸に赴き、吉川小早川いづれか首引っ提げて来たらんと郡山の城へ忍び入りしに、敵は用心中々に堅固なり、ソレ曲者よと追っ取り籠めて搦めんとす、やう/\切り払ひてその場を立ち退きしが、君には此の高松に軍(いくさ)を向けらるゝよし聞えたり、さらばと旅商人体に姿をやつし、敵の模様を探らんと今日城下まで入り込みしが、早くも怪しの間者と目をつけられ、夜行の軍兵に追ひ掛けられ、あれなる杜の社殿のうしろに身を潜め、夜を明かさんと存ぜしに、俄かに今宵の合戦起る、敵の大将末近信実しきりに常陸介殿を追ふ、それがし小蔭より躍り出で、用意の懐ろ鉄砲にて乗ったる馬を打ち倒し、一太刀に切り伏せんと走りかゝる、敵には援けの兵者あり、無念ながら打ち漏らしぬ、当城のあるじ清水宗治にはそれがし已み難き恨みあり、あはれ君の御馬前に槍を取りて走せ向ひ、堀の埋草ともなり候はん、なにとぞおん味方に加へられ候ふやう※[#行人偏+扁、](ひとへ)に願ひ奉る。と弁舌よどみなく言上す、秀吉さこそと打ち頷き。その願ひ一々道理至極なり、あはれ功名して末代までの名を揚げ候へ、さるにても心得ぬは、和殿の面体我が家臣本荘四郎三郎によく似たり、ひと目にはいづれ菖蒲と見紛ふ、世には不思議のことも有るものよ。とそなたをつく/″\打ち見やる、五郎はハッと頓首(ぬかづ)きぬ。
 折りから本荘四郎三郎唯今到着致せしと申す、待つ間程なく御前に参るは四郎三郎常行、長の旅路に面はやつれぬ、秀吉近う招きて。大事の役目いかにやしつる。されば仰せ承まはり、はる/″\安芸へ罷り越し、郡山の城へ忍び入り、清水長左衛門を一と打ちと存ぜしに、言ひ甲斐もなく組みしかれ、厳しき縄目の身となりしが、ひそかに夜半の雨にまぎれ、獄屋を破りて走せ参り、今宵到着仕って候ふ。同じ事もあるものよ、それがしとても郡山の城へ忍び入りしが、運拙くして本意を達せず。さては和殿も郡山へ、それにて思ひ当る事こそあれ、それがし搦め取られし時、なほ一人怪しの者、見咎められて手裏劔を飛ばし、そのまゝ落ち失せしと云へり、さてはその折の曲者は和殿にてありつるよ。さればなり、已に危うくなりたれば、手裏劔を飛ばして追ひ纏る軍兵を打ち止め、やう/\其の場を落ち延びたり。さう聞くからは尋ぬる事こそ候へ、和殿が飛ばせし手裏劔は黄金(こがね)の割楴枝(わりこうがい)に鳩の半身を留めしものとかや、如何にして手には入られしぞ。それには深き仔細あり、それがしは島田十郎左衛門重次に養はれ五郎義次と呼ぶ、まことは尼子の侍大将本荘三九郎常光の一子にして、故あって件の割楴枝を身に添へ道のほとりに棄てられぬ、生長の後初めてこれを養父に聞けり、和殿はそれに心当りの候ふや。されば其の割楴枝の片身(かたみ)はそれがし大事に所持なし居る、本荘三九郎の一子とあるからは、さては汝は我が弟にてあるつるよ。ナニ我を弟とは。と思はず膝を進むる五郎、四郎三郎は莞爾(につこ)と打ち笑み、その疑ひは唯今晴らさん。
 本荘三九郎が母葉末は過ぎつる年、富田の城を迷ひ出でしが、もとより頼るべき所もなし、蜑(あま)の子にはあらなくも宿も定めずさまよふうち、月満ちて産れ落せしは双児なり、この身一ツすらも過し兼ぬるに、二人の赤児を如何にせん、一人は不便ながらと所存を極む、親として子を捨つる事、けふ迄は聞くたび毎にアナ浅ましやと思ひつるに、今は我が身の上とはなりぬ、鬼か蛇か、情けなき振舞にと我が身ながらに涙は已まず。
 されども其儀に果つべきにあらず、弱る心を励まして先に生れたるを弟と云ふ俗説に任せ、これに亡き夫8つま)が秘蔵の業物につけたる、南蛮鉄の割締技の半身を添へて、涙に曇る朧ろ月、まだ肌寒き春の夜風に泣き入る赤児を野末に措き、見返り/\立ち去りぬ。
 それより兄なる赤児を懐にしてはる/″\都へ上る、詫び住居の細き烟り、しがなくも其の日を送るうちに光陰は流るゝ鴨川の水よりも早し、母が手一ツにて成長して本荘四郎三郎常行とは斯く云ふ我なり。あはれ父常光の跡を襲がぱやと伝(つて)を求めて大将(羽柴秀吉を云ふ)のおん手に属し、弓矢を執って度々(どゞ)の功名、この度の中国攻めにも、万人のうちより抽(ぬきん)でられ、唯一人安芸に赴き、郡山の城に入って端なくも清水長左衛門に出逢ひぬ、おのれ一打ちと思ひしに、力及ばずして搦め取られし時、又もや一人手裏劔を飛ばして逃げ失せしと云ふ、南蛮鉄に黄金の鳩の半身と聞いて我が駭きは大方ならず、さてはそれこ我が弟よ、如何にして此処へは来たりしぞ、懐しやとは思へども、縄目の身の心に任せず、されども運命未だ竭(つ)きずや、猶も厳しく詮議せんとて獄(ひとや)のうちに繋がれぬ、夜半(やは)に紛れて縄目を脱け走せ返ったる途すがら、最早や合戦は始まりぬ、せめてもと敵一人二人切り伏せてやうくこれへは参りしなり、逃れぬ不思議の因縁(えにし)、又もや此処にて邂逅(めぐりあ)ふ、図らざりき。と嘆息す。げに図らざる対面、シテ母上には。三年以前に。と云ひも畢らず袖は湿れぬ、五郎が袂も同じ時雨! 廿余年の後図らず初めて弟に逢ふ兄の心! けふ迄もありとは知らざりし誠の兄を見る弟の心!

高松(たかまつ)の水攻(みづぜめ)

 羽柴の勢は愈々高松に攻め寄せぬ、城中には清水長左衛門宗治、下知を伝へ用心中々に厳重なり、名に負ふ金城湯池の要害、昼夜を分かぬ数度(すど)の合戦、寄手はいつも微塵に打ちなされぬ、かくては果てじと大将心を悩ますに、本荘島田の兄弟御前に進みで、この城は釈迦ケ峰の西麓に在り、甲部の川これを遶(めぐ)る。水攻めの計略は如何に。と申す、秀吉耳を傾けて。げに兄弟の計略その図に当れり、直ぐさま用意にかゝるべし。と命ず。
 頃は五月(さつき)の中旬(なかば)、きのふも今日も晴れ間なく、降りつゞく雨に、水嵩まされり、甲部の川を堰き止めて城に注げば、一時に流れ入る川水、見済(みわた)す限り漫々として城中一面の湖水(みづうみ)とはなりぬ、さしもの長左衛門これには防禦の術(てだて)も尽きたり、さりながら元より死を極めて此の城を守る、火の焦せぱとて、水の浸せばとて、手を束ねておめ/\矛を伏すべきや、城中の者共一人たりとも生きてあらん程は此の城は落つまじきぞ、と義を以て励ます大将の一言、主従心を協(あは)せていかな/\屈する色なく、有り合ふ板を集めて舟を造り、昼夜水の上にて敵を防ぐ、さても城方の根強き事よと、寄手もそゞろに舌を巻きぬ。されども安芸より援兵の来たらぬうち、少しも早く攻め落せと寄手は愈々厳しく取り囲めば、城中の者共今はかうと覚悟を極む、長左衛門もさま/″\に軍慮に心を悩ませども、知謀も計略も最早尽きぬ、独り思案に暮れかゝる黄昏どき、軍兵一ツの竹の筒を持参して云ふ。これはいづくよりと知れず流れ寄りたるもの、打ち破って検め見ればかやうの書状の入って候ふ。と差し出だす、長左衛門手に取りて封押し披けば、こは紛ふかたなき毛利輝元小早川隆景の書状――我もさま/″\に心を砕けども路ふさがりて後攻(ごづ)めの勢を出すこと叶はず、救援(たすけ)の道も竭き果てたり、如何になりとも自から処置すべし――と記(しる)せり。
 読み終りて左(さ)あらぬ体にて打ち頷き、筆を取りて何やらんサラ/\と認(したた)め。これを寄手の陣所に贈り届けよ。然らばこれを羽柴方に。と不審ながらに見上ぐる軍兵、長左衛門は涙を呑んで一言なし。
 猶も合点行かねば暫時(しばし)たゆたふ。エゝ何を猶予。と大音声、日頃の気質を知れば、ハッと恐れ入る軍兵、急いで其の場を罷(ま)かり立ちぬ、引き違へて入り来たるは老臣白井治嘉(はるよし)。只今承はれば寄手の陣所へおん使ひ、如何なる次第に候ふや。と問ふ、長左衛門が忠義の心堅固なる、治嘉日頃より知らざるにあらず、されども変り易きは人心、長の籠城に力尽きて、万一羽柴方へ降参の使ひにはあらざるか、幼少の折より一日もおん傍を離れぬ此の治嘉、叶はぬ迄も面を冒して諌め奉らん、大事のきはに重代の主をやわか不義不忠に落さうか!
 長左衛門もさこそと見て。いやとよ治嘉、我不肖と雖も命を借しみ、おめ/\敵に降らんや、瓦となって全からんよりは玉となって砕けよ、我は覚悟を極めしぞ。さらば君には御生害のおん覚悟に候ふよな。ようこそ推(すゐ)したれ、我一人命を捨て城中一同に代らん所存。さては我が察しに違はず、身を殺して仁をなす、さすがはと感ずる治嘉、小膝を進めて。げに天晴なるおん覚悟、治嘉恐れ入って候ふ。義に固ってはさら/\命の惜しからず、あはれ清水長左衛門宗治が最期はかうと末世に伝へん、もし秀吉が我が願ひの趣承知せぱ明日は棄つべき我が命、浮世は都(すべ)て夢なるぞや。
 さしも猛き宗治もそなたを見るや目には涙、同じ思ひの白井治嘉、先般左衛門佐(すけ)殿より二代の奉公幼少よりおん傍を離れず、弓を引き馬に騎(の)る、我が子の如くに叱りつ教えつ、振分け髪を掻き撫でて、あはれ行く末は日本一の大将に、とつぐ/″\見上げ参らする面容(かんばせ)、げに二葉より香ばしとか、勇気は溢れて能くも佐殿に似たり、末頼もしやと楽しみし甲斐あって、今は弓矢を取って中国に聞ゆる大将とは成り給ひぬ、かく迄に深き主従の因縁、武運鵡きしとは云ひながら明日は果敢なく…と思ひは胸に満ちて差しうつむけぱ。嘆くな治嘉未練なり、死は武士(ものゝふ)の習ひなるぞ。年頃聞き慣れたる主の声、今日ばかりは恨めしう聞えぬ。
 治嘉、小姓を呼び参れ。何事の御用に候ふや。長の籠城、軍慮に余念なければ身を浴(きよ)むる暇もなく、鬚などいかう延びたるぞ、我果てなば此の首を伝へて都へ送るは必定なり、織田殿初め都の方々宗治が見苦しき死に顔見て、籠城の忙はしさに取り紛れさてこそかうよ、と笑はれんは中々に口惜しし、鬚を抽き形を改め、徐(しづ)かに生害致すべし、心得たるか。と云ふ、治嘉膝を打ち。げに好うこそみ心付かれたれ、他人(ひと)に仰せらるゝに及ばず、それがし御用相勤め候ふべし。老いのまなこは涙に曇りて朧ろなり、手元おぼつかなくも主の側に立ち寄れば、四十余年のむかし我が膝に這ひ纏はり、爺よと慕ひ給ひし君、初冠(ういこうむり)の時とは引きかへて、今は最期の死装束、昔を忍び今を思ふ、腸(はらわた)を寸々に断つ苦しみ、主従は二世の縁と聞く、其ればかりがせめてもの頼み!
 治嘉大儀にありつるぞ、今宵は名残に一献酌まん、城中の者共一同に申し聞かせ、我と共に果てんなんど浅き心を起すべからず、このこと其方より堅く伝へよ。一同の者共は知らず、この治嘉は御免候へ。と云ひさまスルリと引き抜く刀、襟くつろげて脇腹にグサと突っ込む、サッとほとばしる血汐の紅ゐは赤き心を顕はしぬ。さては※[#「端」の立偏をしんにょう偏に置き換えた字:8922, 797c](はやまり)て最期を遂げしよ、明日は二人が冥途の路連れ、宗治介錯致して得させる。と涙ながらに後ろに立ち廻る、心も空も五月雨(さみだれ)の、乱れ焼刃は来国行の銘刀、口に称名打ち下す雷光(いなづま)、あはやハッタと落つる白髪首、後れ先だつ死出の山路!
 明くれば曇りし空も晴れぬ、燬(やく)るが如きけふの暑さ、覚悟極めし清水宗治、ゆうべ羽柴方より我が願ひ承知の趣申越したり、イザヤ最期を急がんと、日頃忠義の心厚かりし侍大将末近七郎二郎信実のみを従へ、小舟に乗りて城を出でぬ、その余の者は一人も従ふことを許さず。
 木村常陸介、森三左衛門は検視の役なり、同じく小舟に乗りて其の場所に向ひ、使者を遣はして云ふ、和殿が節義嚢大将にも厚く感じらる、粗末なれども此れなる酒肴、せめて名残にゆる/\きこし召されよ。と種々(くさ/″\)の酒肴を贈りぬ、宗治忝なしと受取りて、七郎二郎と共に中々に後れたる気色もなく、心静かに酒酌みかはす、あはれ勇士の覚悟よ、と検視の人々も感じ入ってぞ見えたりける、杯も重なれば自然(おのづ)と酔を催ふす、宗治扇を取りて立上り、日頃たしなめる誓願寺の曲。
  教への道も一声の/\御法を四方に広めむ
声さはやかに諷ひ出づれば、聞く者いづれも耳を清(すま)しぬ、宗治猶も諷ひ続けて。
  ……我も昔は此寺に値遇のあればすむ水の春にも秋や通ふらし……
寄手の方より又もや一艘の小舟、こなたをさして走り寄る。
  ……よしそれとも上人よ我が偽はなき跡に和泉式部は我ぞとて
舟べりに顕はれたる二人の武者。我こそは和殿に養父を討たせつる島田五郎義次。我は先の夜和殿に生捕られし本荘四郎三郎常行、最期のきはに対面せん。と呼はる、宗治そなたを打ち見やり。如何にも和殿原の面体覚えあり、生前は敵となり味方となり互ひに鎬(しのぎ)を削りしも、未来は一蓮托生の仏果を得ん。
  南無阿弥陀仏[#「阿」字欠落か]弥陀如来あら有難の額の称号やな
養父の仇はかうよ、と五郎は弓キリ/\と引き絞る、これは恨みのとゞまる鏃(やじり)、受けて見よや、と放せし矢は宗治が直垂の袖を射貫きて、あなたの松の梢ヘズックと立つ、宗治カラ/\と笑ひて。恨みは今こそ晴れつらめ、我も思ひ置くことなし。
  真如の月の西方も髪を去ること遠からず唯だ心の浄土とは此誓願寺を拝むなり
西方浄土に我も急がん、イザヤと信実を見返る、心得て身づくろひすれば、これや名残と見かはす主従、朝日に輝く二口(ふたふり)の剣、スルリと引き抜きグッと突っ込む、切先忠義の腸に透れば、竜田の秋にあらねども水に流るゝ韓紅(からくれな)ゐ、四十五年の命、三十年の夢! 波にゆらめくは目前(まのあたり)の弘誓(ぐぜい)の舟!
 秀吉は此の日より囲みを解きて去れり、忠義の魂魄(たましゐ)はいづくに在る、忠義の名は今に朽ちず、釈迦ヶ峰の松の風、甲部の川の水の声、僅かに昔の名残をとゞめぬ。



底本:岡本綺堂読物選集1巻 伝奇編 昭和44年12月20日 青蛙房

※なお、初出誌の東京日日新聞連載分は総ルビ(振り仮名)であるが(上記サンプル画像を参照)、底本に用いた青蛙房版は、上記の通り一部ルビ付となっている。
※原文には段落がないので、段落と考えられる文の冒頭を一字分下げて、空白とした。
※第3水準・第4水準に含まれる漢字については、※として表し、[# ]内に、区点コード、16進コード、の順で示した。
入力:和井府 清十郎
公開:2003年3月3、9、17、24日、4月4、13日





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